2011年6月13日月曜日

ピアノのある景色

ここは、まるで本当に生きているかのような世界。
見るもの、動くもの全てが、現実味を帯びている。
もう、あなたはこの世界に降り立ったのだろうか。

だんだんと意識がはっきりしてくる。
バラの香りは、そのままで、情景だけが変わっていた。

辺りは、ほのかな蝋燭の灯火で優しく映し出され、
華やかなドレスを身にまとった女性達と
それを追いかけるかのようにタキシードの男性達が、
バーカウンターで微笑みながら、会話をしている。
中央では、白いドレスを着た女性が、
透明感のある指先で、ピアノを弾いていた。

入り口には、あのタキシード姿の男が、
ここに来る客人をもてなしている。

肩を寄せ合い、抱きしめながら、踊る恋人達。
ピアノの音色は、ゆったりと、そしてときには、力強く、
大聖堂の中に響き渡る。

バラの花の物陰から、じーっと様子を伺っていると、
ふいに後ろから声がした。

「いらっしゃいませ。またお会いできましたね」

あのとき、バーカウンターにいた女性だ。

彼女がバラの花を一輪、摘み、
手渡してくれた、その瞬間、
旅でボロボロになっていた服は、
紳士な黒いタキシードに変わり、
胸には、彼女がくれたバラが一輪入っていた。

「さぁ、あちらで皆さんがお待ちですよ」

カウンターへ向かい、足を進める。
片隅のチェアに座り、ピアノの音色に耳を傾けていると、
横にひらりと華奢な体つきの女性が座った。

「こちら、ご一緒してもいいですか?」

なんて可愛らしい顔つきなんだろう。
見つめる瞳は、吸い込まれるほど透明感に溢れ、
微かに動く口元は、微笑んでいた。

どんな会話をしたのか覚えていない。
たぶん、たわいもない世間話だったのだろう。

「ご一緒に踊られてはいかがですか?」

カウンター越しのあの彼女は、優しい顔でそう言った。

手を取り、華奢な肩を抱きながら、体を揺らす。
何も話さなくとも、透明なまなざしが、
心の隙間に染み渡るようだった。

なんだろう、この安心感。
今出会ったようなものではなく、
随分と昔から一緒にいたような感覚。
彼女の腰に手を回したとき、
目の前が、またぐるぐると回り始め、
頭の中が真っ白になっていく。

ああ・・・。もうこの安らぎは、
遠く離れていってしまうのか・・・・

ピアノの優しい音色とバラの微かな香りだけが、
はっきりと残っていく。